寒いなぁ... 寒いなぁ... 寒いなぁ...
寒いなぁ...家ではこんなやり取りが増える時期になりました。咳をしても一人なんですけどもね。
最近ほんとに寒くないですか?なんだか急に冷え込んだような気がします。オンライン授業のせいで全く家から出ないからでしょうか。布団だけが僕を温めてくれます。オフトゥンイズマイフレンドForever。
???「え、先輩、寂しいですね、あ、私クリスマスの予定埋まってるんですけど、彼女とか、いないんですか?」🥺
...。
.....................。
................................................。![IMG_3145[1]](https://blog-imgs-138.fc2.com/s/h/i/shidaisai/20201024183951599.jpg)
すみません最近ちょっと耳が遠くて...こんちゃ!
模擬/装飾のはまにです!いきなりですが冒頭の寸劇(?)はいかがでしたか?あ、キモい?俺もそう思う。こじらせも極めてみるものでしょうか。
はあ。ちなみに僕のクリスマスはピザを運ぶことに命を懸けることぐらいしか予定がありません。ははははははは
まあそんなことはどうでもよくて、ちゃんとブログ書いていこうと思うんですけど、まあお察しの通りたぶんこのブログ
バチボコ長いので、先に次のふみやへ質問!
その質問は...?
”どうして委員長やらなかったの??”にします!
巷で噂になったふみや委員長説。立候補は誰でもできますから、やってみてくれないかなあ...と密かに思っていたんですけど、立候補者リストに彼の名前はありませんでした。このときふみやに何があったのか。その核心に迫っていきたい!現四役のことを思うと心が痛みますが、まあしょうがない。
というわけでふみや、お願いします!!
さて続きに行く前に。
このブログを読んでくれて本当に感謝でいっぱいなのですが、このブログは過激です。読んでてつらくなることも多いかな?と思うので、ちょっと怖いなと思ったらここでブラウザバックです。別にこのブログは逃げも隠れもしませんからね。読みたいなと思うときに読んでください。
さてお待たせろくちゃんからの質問。
“BE MEISHIを作るのってどんくらい大変だったんですか?”
ろくちゃんんんんんんんんんんんんん🥺🥺🥺🥺🥺
この話、あんまりおもしろくないので、普通に墓場まで持ってこうかな~とか思ってたんですけど、逃れられなかった...さすがはろくちゃん。痛いところを突いてきます。
ちなみに、この話をするにあたって、どれぐらい書いてほしいのか聞いたんですよ。
そしたら、

ということなので、ちゃんと書きます。
てか死ねの数多いなオイ...俺じゃなきゃ死んでるぞ...ここで、特にここまで読んでくれた1年生のみんなは「そもそもBE MEISHIってなんだよ、BEは便所のBEか??(笑)」とでも思ったんじゃないかな?そんなあなたに見せてあげましょう。
これです。![AZCK7068[1]](https://blog-imgs-138.fc2.com/s/h/i/shidaisai/2020102423410958b.jpg)

写真はカリクレのメンバーたちが幸運にも写真を撮ってくれていたもの、続いて実行で撮ったものです。他にも撮ってくれていた人がいたみたいで...本当に感謝しています。この場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございます。
にしても、
でかい。
とにかくでかい。気づきましたか?
このBE MEISHIたるものは、私の出身地、兵庫県神戸市にあるBE KOBEをモデルに、
お客様がびっくりしてくれたり、BE KOBEのように写真をいっぱい撮って、市大祭の思い出の1つにしてもらえたらいいなあ...という
口に出すと非常にお恥ずかしい信条のもと、サイズも本家に似せ、大量の段ボールを消費し、寸法も何とか5ミリ単位で合わせ、直前期はほぼ毎日深夜4時まで学校に残り、チーフとしての書類の締め切りに追われたりちょっと遅れたりしながらも、今の委員長がチーフのころに僕が公開処刑にされたりしながらも、上手にサボって異常な愚痴を言われることを引き換えに当時の眼鏡の方の副委員長の雷撃をすり抜け、愛している仲間からの援助も借り、毎日が血眼で、当時お金も底を尽きていたので、学校から課外活動団体に毎年支給される防災食で食いつなぎ、やっとの思いでギリギリに完成させて大成功を収めたんだああああああああああ!!!!!!
とまあここまで書けば聞こえは良いですか?ろくちゃんの問いに対する回答はこれです。
まあ、あんなもんは人間3人いてもやるもんじゃないとだけ、お伝えしておきます。
ありがとうございました。いやぁいいですねえ^~スポ根マンガみたいで。スポ根マンガというのはマンガだから面白いんであって、こんなもん現実に起こっちゃダメです。ただの狂気の沙汰でしかありません。いいですか?ここで「すごーい」と安直に思ったあなた。この話にはもちろん裏があり、当時装飾チーフの私がしでかしたポカに次ぐポカ、ポカポカポカポカポカエトセトラのオンパレードへの導入でもあるわけです。嫌気がさした方はここで読むのをやめましょう。そのほうが身のためです。
振り返らせてください。
話は僕の大学1年生時代に遡ります。
僕の周りの人たちは、市大祭にはなんとなく入ったって人が多いらしいんですけど、僕は割と違くて、
溢れ出る野心を強く胸に秘め
何か一旗揚げてやろうと、
高校時代に文化祭スタッフをやっていたことを活かし
大学でこそはやってやるんだ...🤜🤛と思って入りました。今思えば当時の僕は完全に意識高い系だったのではないかと恥ずかしい限りです。
当初固定バイトと定例会議が丸被りし、周りより遅れを取っているなという思いから、夏休みから割と全力で参加し、後期はほぼ学校に入り浸って装飾物をひたすら作ることに没頭していた気がします。そのおかげなのかな、68th市大祭が終わるころにはしっかりとなじめていました。先輩、同級生にも本当に恵まれて、ご飯に連れてってもらったり、装飾の製作をしたり模擬の仕事をしていた時、ふとすれ違った時、沢山話してもらって、僕の伝家の宝刀”隙あらば自分語り”にも嫌な顔1つせず聞いてくれて、本当に嬉しかったし、楽しかった。思い返せば一番楽しかったと思います。本当に、68thの先輩方、感謝でいっぱいです。。ありがとうございます。
そして、ありがたいことに、チーフをやりたいと言ったら承認を得られたので、69th市大祭、つまり僕がBE MEISHIを作った年は、装飾チーフとしての1年だったのですが、、、
これがあかんかった。いや、マジであかんかった。
本当に周りの足を引っ張ってただけだったと思います。
新歓から合宿から打ち上げも日々の会議も全部全部全部、何から何まで僕としては不可でした。特にやる気がなかったとかいうことはなかったんですけど事あるごとに失敗ばかり。たぶん、何もしない方がまだマシでした。
本当に、当時の装飾3年は、晴れやかに引退できたのかな。
そして、他企画の人たちから「1年生全員辞めそうだけど大丈夫?」といわれる屈辱。
屈辱的な事実でした。
なあ。これが現実だよ。お前がすべてぶち壊してしまったんだろ?考えが甘かったよな?もっと1年生に楽しんでもらおうとか、どうやったらコミュニケーションを深められるだろうかとか、そんな事を何一つ考えられてなかったんじゃないの?いい加減にしろよ。てかもっとお前自身が全員とのコミュニケーションを取ってた方がまだよかっただろ?なにのうのうと製作してたんだよ。あんだけ大丈夫かと心配されて、それでもお前は作り続けた。ああしんどかった?ふざけんな。そうしなきゃ、やってられなかったんだろ?お前の心にあったすべての負の感情を、BE MEISHIにぶつけたんだよな?俺は知ってる。お前、途中から只々先輩にビビってただろ。その逃げ道が、業が、BE MEISHIだろ?だからバラシの時にあんなにぞんざいに扱われたんだ。当然だよ。なあ、なんであんなにビビってたんだ?自分がうまくいってなかったから?自己嫌悪するのは良いけど、それを他人にまで向けんなよ。孤独感を感じた?お前が勝手に作ったんだ。お前がチーフになる前の「全員個性は強いけど仲は良い」というイメージは完全に崩れ去った。あれを見て全体として仲が良かったなんて言えるか?無理だろ?お前がつぶしたんだ。もっと全体としての一体感を生み出せるような手を打てよ。チーフやりたいって言ったの誰なんだよ。お前だろ?絶対もっと他のやつがチーフやったほうがうまく回ったよ。ほら、他企画を見てみろよ。終わった時にはこんなにもみんないい表情してるんだよ。ウチにはもっと高いポテンシャルがあっただろ?でも活かせなかったよな?そうしたのは?誰だ?なあ。なあ?
なあ!!!!!!そろそろやめときましょうか。皆さんのお通夜ムードが目に浮かびます。
ちなみにこれは市大祭が終わった時からずっと僕の頭を駆け巡る自問自答の一部です。たぶん、誰も僕に対してここまでは思ってないと思います。みんな優しいから。でもそんなものに甘えててはいけない。来年どうしようという答えは、大体出したし、反省会でもいっぱい出た。でも、反省だけしてりゃいい分際か?そんなことはありません。むしろその後悔は、俺以外のやつに負わせるものなのか?とさえ、思っていました。
覚悟も、想いも、技術も、器も、何もかも、足りていなかったんだなあ
なんかここまで聞くと、来年チーフをやろうかと思っている人たちは不安になりますよね。
確かに、少しの「私がこの企画/部署をいいものにするんだ」という想いはあったほうがいいと思いますし、どういうことをして楽しませようかとか考えてみてもいいと思います。
でも、不安はいらないです。僕みたいにならないようにするのは、何ら難しいことではありません。
分からないことは、全部先輩が答えてくれます。どんなことだっていいし、同じことを聞いたって大丈夫です。言ったやんとかいう奴なんていません。そんな奴がもしいたら中指で鼻の穴こじ開けたればいいですから。
そもそも今年、実践は何もできてないわけだし。製作っておいしいの?状態じゃないですか。だからいいと思うんです。何も怖がることはない。企画部署全体の知恵を合わせれば、とてもいいものになるはずです。
来年のチーフの皆さん。本当に応援してます。僕にできることは殆どないかもしれないけど、微力は尽くしたいなと思います。
ああ、長い。
締めよ。
まず、69th市大祭で企画チーフをやっていた皆さんへ
本当に、こんなドがつくほどのポンコツとともにやる仕事は相当嫌なものだったでしょう。お察しします。
特に、りょーがとまなみにとって僕は邪魔でしかなかったと思います。
すいません。
たまにする談笑、これからどうしようかという希望に満ちた話。
いい時間だった。
1回やった企画幹部飲み会、楽しかった。行くのは本当に怖かったけど。でもやっぱり、行けば、楽しい。
またやりたいなあ。アルコールが足りないよ。
続いて、同期の3年生、後輩の2年生へ
こんな自由奔放の塊みたいなやつと関わってくれて感謝しかありません。
どんな時も、たくさん話してくれて、僕のつまらないボケにもなんだかんだ笑っていただけるのは、本当に心の支えでした。
そして、同期の3年生は、去年、市大祭の中枢として、精一杯知恵を絞りだして、真剣な表情で製作や当日に臨む姿は、本当にかっこよかった。いや、かっこよかったって僕が言えることじゃないかもしれないんだけど。ただただ、尊敬です。ある人が、やっぱり幹部がすごいみたいなことを何かで言ってた気がするんだけど、僕は、ちょっと違くて。もちろん幹部はすごいんだけど、幹部じゃない人たちにこそ、すごみがあると思います。こんなに信頼できるヒラの皆さんはいないんじゃないかな。ソースは装飾です。いやマジで優秀すぎた。僕の知らないところで見える見えない関係なくポカをたくさん拾ってくれてたから、装飾が何とか成り立ったんだと思います。ありがとう。何回言っても足りない。
なので、幹部だからとかそうでないから...ではなく、みんなすごい。市大祭を続けられなかった人たちも含めて。いつか市大祭時代を思い出したときに、誇らしく思ってくれれば、な、と、思います。(いや言えたことじゃねえな~誰目線だよほんと)
後輩のみんなも、ほんとに引きこもってばっかのワシに話してくれてありがとう。後輩の顔をして寄ってくる後輩は、マジで可愛げの塊でした。当時はお金がなくてほんとにごめんなさい。今ならラーメン、おごりますよ。
大人になったら、きっと関わることなんて殆どなくなるんだろうな。。。いや、それぞれがこの場にとどまっているわけにはいかないから、うじうじ言ってもしょうがない。だから、残りそんなに多くない時間を、楽しく過ごしたいなと思います。。特に、まつじゅん、ほりえ、トーインは、これからも無限に酒をあおり続けよう。
先輩方へ(特に69thでの先輩方へ)
個性派ぞろいの先輩方で、いつも本当に新鮮でした。優しく、厳しく、色々声をかけてくださって、とても助かりました。69thの時代、本当に殻にこもりがちだったので、その中でも話してくれていたのは、本当に今思えば有難かったです。当時ゴミみたいな対応ばっかですいませんでした。ラーメンにたっくさん誘ってくれたり、たまに飲みに行かせてもらったり、ドライブさせてくれたり、祭室でもどうでもいい会話も、楽しかった。最後にコミュニケーションを閉ざしかけていたのが本当に悔しい。もう残り少ない時間だけど、絡んでくれる人がいれば、幸せだなあ、と思います。
そして、市大祭の未来を担う1年生へ、と思ったのですが、ここまで目が通っている時点でもうあなたは十二分に市大祭をやり抜く素質にあふれていると思います。いや、褒めるしかない。こんな駄文、読んでくれてありがとう。ぜひ来年も、新しい市大祭で猛威を振るってください。あなたならできます。まあせっかくなので、他の人のブログも読んでみてください。市大祭を知るいいきっかけになります。
ああ、楽しかったなあ。
しんどかったなあ。
疲れたなあ。
でも、よかったなあ、特に理由はないけど。
ふと思います。
きっと僕は、
市大祭に
恋をしていたのではないかと。
くっさ!!!!
キモ!!!!!!
これだから市大祭は。
もう辞めます。書くの疲れました。(まだ書けたの)
出すの遅くて本当に申し訳ありません。
お付き合いいただき、誠にありがとうございました。
この場を借りて、感謝申し上げます。
はまに