委員長のぶろぐでーーーす
2020.10.27 06:28|70th市大祭ブログリレー|
こんにちは!
ライブ/涉内 のふみやです
市大祭の1年生や2年生、3年生までもが僕のことを知らない人は少なくないと思います。
無理もありません。
僕は、約3年間を通して、なんとほとんど市大祭の仕事をしていません。他が忙しすぎて市大 祭の仕事が手につかなかったとかでは全くなく、なんとただ単純に仕事をサボっていただけです。それは時が経つにつれて、だんだんそうなってしまったのか.....とかではなく、僕は入った当初から最後まで仕事 を怠っていました。
初めからやる気がないのになぜ市大祭に入ったのか、、、、
大学に入学していろいろなサークルや部活の新歓に行ったぼく。入る候補が、ダンスサークルやフットサルなどで市大祭に入る気はまっっったくありませんでした。ある日、ともだちのヤマモトくんが市大祭の新歓に行くと聞いて、暇だった僕はなんとなくついて行きました。そこからはあまり覚えていないのですか、気づいたら市大祭に入っていました。(今思えば、ライブやフェスが好きな僕は、ライブに入ったら好きなアーティストが呼べると聞いて入ったような気がしてきた)
1年生の頃から、仕事をさぼっていた僕、やった仕事とをあげるとしたら正門のところで市大祭当日BGMを流すくらいしかやった記憶しかありません。基本的に面倒くさがりの僕はずっと「市大祭の仕事だる」と常に思っていました。
何も仕事をしていないくせに、いっちょ前に「いろいろ大変だし今年で辞めるか」とずっっっっっっと思っていたし、心に決めていました。
市大祭当日はとても大変でした。寝れないし疲れるし。当日ライブのシフトと見たいアーティストの演奏の時間がかぶっており、当然見れない予定でした。それは前々からわかっていたため、諦めて「あーーライブ見たいなー―」などとつぶやきながら仕事についていまいした。そのとき近くにたまたま当時ライブチーフだった みぞさん が近くにおり、急に「ふみや、見に行ってきていいよ。」といい、妖精さんに仕事を任せて、 みぞさん のおかげでなんとライブを見ることができました。 そのとき僕はその優しさに正直涙が出そうになりました。そして「よし、辞める予定だったけど恩返しするためにも続けるぞ」という気持ちになりました。
しかし、、、、、、、、
2年生になって主役になった僕ですが、そんな恩を忘れるかのように普通に仕事をさぼっていました。
部署の涉内でも、ぎーはーさん の力に全く力になれていませんでした。(1年のころに関しては、いないと同等だったので省きました。けいしさん本当に使えなくてごめんなさい)
ライブでは、ライブ会場のドリンクを提供する担当になったんですが、結局準備から ゆいさん に頼りっぱなしで、当日に関しては妖精さんまでにめちゃめちゃ助けて貰いました。本当にあのときは助かりました。ゆいさんや妖精さんがいなかったら、うまく回せていなかったです。本当にありがとうございました。チーフの工藤亜美さんに関しては何回怒られ、何回呆れられ、何回迷惑をかけたのかわかりません。普通なら喋ってくれなくなるくらい嫌われているはずなのに、僕が少し仕事をしたら「すごいじゃ~~ん!!」「ありがと、ふみや!!」など工藤亜美さんは僕に気を遣って、褒めてくれたり話しかけてくれている時は嬉しい反面、申し訳なさもあり、難しい感情でした。ありがとう。そして本当にごめん。
市大祭の女装コンで、はまにかほりえもんあたりが勝手に僕を推薦して、候補が三年生(現4年生)含め、10人以上いて投票になり「まあ、さすがに僕なんかが選ばれるわけねぇーーよ笑笑」と思っていたけど、なぜか一番票が入った憎き憎き女装コンの話や、水無月事件など書きたいエピソードはたくさんあるのですが、ろくた、はまに、とめちゃ長いブログだったので僕はここらへんにしておきます。ここら辺の話を聞きたい人は、ご飯でもいきましょう!
そろそろはまにからの質問
”どうして委員長やらなかったの??”
まず、なぜか僕が「70thの委員長」と言われていたかといったら、正直、マジで 覚えていません!!!
恐らく、一番委員長から遠そうな人材の僕がふざけて「おれ、来年委員長だからな~~」とほざいていたからだと思います、
しかし、僕はマジで70th市大祭委員長に立候補しようとしていました。
それは、絶対に選ばれない、もしくは不信任になる絶対的な自信があったからです。
それはそうです。委員長はぼく、副委員長はがっきー、ろくた、ともやです。 ベストメンバーの自信がありました。
そして市大祭選挙当日、お昼に選挙がありました。
なんとそのときぼくは、お家でスヤスヤ寝ていました。 そう、寝坊です。
その結果、委員長になれませんでした。
委員長のりょうがくんへ
僕が寝てて、ラッキーだったね。
ふみやより
といったようなことを言い合えるくらい、気づいたら僕は市大祭を楽しんでいました。今思えば、こんな僕でも廊下などですれ違うと手を振ってくれたり、話かけてくれたり、、、、、、、酔っ払った ゆうたろうさん から急にインスタで「のも」と誘われたり、、市大祭の僕の活躍ぶりは謙遜抜きの”ゴミ”だった僕を除名しないで、女装コンの衣装を一緒に買いに行ったり、なにも言わずに手伝ってくれたり、みんな優しく扱ってくれてたのが、いまでも不思議です。みなさん本当にありがとうございました。
当初からずっっっっっっと市大祭辞めたかった僕なので、コロナでいざ市大祭が中止となった時、僕自身、正直喜ぶと思っていました。
ですが、なんだかさみしい気持ちになっていました。
少し肌寒い中、作業したり、キンモクセイの香りを嗅ぎながら薄暗い夜道を「あと、市大祭まで○日か~」と思ったり、仕事もしないくせに「遅くまで祭室にいたりしたよなーー」とこの肌寒い時期になってくると匂いと共に感じる自分にいま、びっくりしています。
女装コンは一生やりたくないけど、またキンモクセイの香りの中、少し寒いなーと感じつつくだらない話をしながら仕事したいとここ最近感じます。不思議ですね。
最後に
ぼくと携わった人たち、本当にご迷惑をかけてごめんなさい。(特に、けいしさん、ぎーはーさん、みぞさん、四役の方々、くどうあみ、ライブチーフのほのか、そのほかの方々)
でもいま思うととても楽しかったです。本当に本当にありがとうございました。
では。
最後にしゅうすけへの質問
しゅうすけとはあまり関わる機会がなかったから、もっと話してみたかったなーーと思いつつ質問させていただきます。
イケメンのしゅうすけだからこそ聞いてみたい質問です。
”経験人数は何人ですか?”
ライブ/涉内 のふみやです
市大祭の1年生や2年生、3年生までもが僕のことを知らない人は少なくないと思います。
無理もありません。
僕は、約3年間を通して、なんとほとんど市大祭の仕事をしていません。他が忙しすぎて市大 祭の仕事が手につかなかったとかでは全くなく、なんとただ単純に仕事をサボっていただけです。それは時が経つにつれて、だんだんそうなってしまったのか.....とかではなく、僕は入った当初から最後まで仕事 を怠っていました。
初めからやる気がないのになぜ市大祭に入ったのか、、、、
大学に入学していろいろなサークルや部活の新歓に行ったぼく。入る候補が、ダンスサークルやフットサルなどで市大祭に入る気はまっっったくありませんでした。ある日、ともだちのヤマモトくんが市大祭の新歓に行くと聞いて、暇だった僕はなんとなくついて行きました。そこからはあまり覚えていないのですか、気づいたら市大祭に入っていました。(今思えば、ライブやフェスが好きな僕は、ライブに入ったら好きなアーティストが呼べると聞いて入ったような気がしてきた)
1年生の頃から、仕事をさぼっていた僕、やった仕事とをあげるとしたら正門のところで市大祭当日BGMを流すくらいしかやった記憶しかありません。基本的に面倒くさがりの僕はずっと「市大祭の仕事だる」と常に思っていました。
何も仕事をしていないくせに、いっちょ前に「いろいろ大変だし今年で辞めるか」とずっっっっっっと思っていたし、心に決めていました。
市大祭当日はとても大変でした。寝れないし疲れるし。当日ライブのシフトと見たいアーティストの演奏の時間がかぶっており、当然見れない予定でした。それは前々からわかっていたため、諦めて「あーーライブ見たいなー―」などとつぶやきながら仕事についていまいした。そのとき近くにたまたま当時ライブチーフだった みぞさん が近くにおり、急に「ふみや、見に行ってきていいよ。」といい、妖精さんに仕事を任せて、 みぞさん のおかげでなんとライブを見ることができました。 そのとき僕はその優しさに正直涙が出そうになりました。そして「よし、辞める予定だったけど恩返しするためにも続けるぞ」という気持ちになりました。
しかし、、、、、、、、
2年生になって主役になった僕ですが、そんな恩を忘れるかのように普通に仕事をさぼっていました。
部署の涉内でも、ぎーはーさん の力に全く力になれていませんでした。(1年のころに関しては、いないと同等だったので省きました。けいしさん本当に使えなくてごめんなさい)
ライブでは、ライブ会場のドリンクを提供する担当になったんですが、結局準備から ゆいさん に頼りっぱなしで、当日に関しては妖精さんまでにめちゃめちゃ助けて貰いました。本当にあのときは助かりました。ゆいさんや妖精さんがいなかったら、うまく回せていなかったです。本当にありがとうございました。チーフの工藤亜美さんに関しては何回怒られ、何回呆れられ、何回迷惑をかけたのかわかりません。普通なら喋ってくれなくなるくらい嫌われているはずなのに、僕が少し仕事をしたら「すごいじゃ~~ん!!」「ありがと、ふみや!!」など工藤亜美さんは僕に気を遣って、褒めてくれたり話しかけてくれている時は嬉しい反面、申し訳なさもあり、難しい感情でした。ありがとう。そして本当にごめん。
市大祭の女装コンで、はまにかほりえもんあたりが勝手に僕を推薦して、候補が三年生(現4年生)含め、10人以上いて投票になり「まあ、さすがに僕なんかが選ばれるわけねぇーーよ笑笑」と思っていたけど、なぜか一番票が入った憎き憎き女装コンの話や、水無月事件など書きたいエピソードはたくさんあるのですが、ろくた、はまに、とめちゃ長いブログだったので僕はここらへんにしておきます。ここら辺の話を聞きたい人は、ご飯でもいきましょう!
そろそろはまにからの質問
”どうして委員長やらなかったの??”
まず、なぜか僕が「70thの委員長」と言われていたかといったら、正直、マジで 覚えていません!!!
恐らく、一番委員長から遠そうな人材の僕がふざけて「おれ、来年委員長だからな~~」とほざいていたからだと思います、
しかし、僕はマジで70th市大祭委員長に立候補しようとしていました。
それは、絶対に選ばれない、もしくは不信任になる絶対的な自信があったからです。
それはそうです。委員長はぼく、副委員長はがっきー、ろくた、ともやです。 ベストメンバーの自信がありました。
そして市大祭選挙当日、お昼に選挙がありました。
なんとそのときぼくは、お家でスヤスヤ寝ていました。 そう、寝坊です。
その結果、委員長になれませんでした。
委員長のりょうがくんへ
僕が寝てて、ラッキーだったね。
ふみやより
といったようなことを言い合えるくらい、気づいたら僕は市大祭を楽しんでいました。今思えば、こんな僕でも廊下などですれ違うと手を振ってくれたり、話かけてくれたり、、、、、、、酔っ払った ゆうたろうさん から急にインスタで「のも」と誘われたり、、市大祭の僕の活躍ぶりは謙遜抜きの”ゴミ”だった僕を除名しないで、女装コンの衣装を一緒に買いに行ったり、なにも言わずに手伝ってくれたり、みんな優しく扱ってくれてたのが、いまでも不思議です。みなさん本当にありがとうございました。
当初からずっっっっっっと市大祭辞めたかった僕なので、コロナでいざ市大祭が中止となった時、僕自身、正直喜ぶと思っていました。
ですが、なんだかさみしい気持ちになっていました。
少し肌寒い中、作業したり、キンモクセイの香りを嗅ぎながら薄暗い夜道を「あと、市大祭まで○日か~」と思ったり、仕事もしないくせに「遅くまで祭室にいたりしたよなーー」とこの肌寒い時期になってくると匂いと共に感じる自分にいま、びっくりしています。
女装コンは一生やりたくないけど、またキンモクセイの香りの中、少し寒いなーと感じつつくだらない話をしながら仕事したいとここ最近感じます。不思議ですね。
最後に
ぼくと携わった人たち、本当にご迷惑をかけてごめんなさい。(特に、けいしさん、ぎーはーさん、みぞさん、四役の方々、くどうあみ、ライブチーフのほのか、そのほかの方々)
でもいま思うととても楽しかったです。本当に本当にありがとうございました。
では。

最後にしゅうすけへの質問
しゅうすけとはあまり関わる機会がなかったから、もっと話してみたかったなーーと思いつつ質問させていただきます。
イケメンのしゅうすけだからこそ聞いてみたい質問です。
”経験人数は何人ですか?”
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